2020年1月18日
예스24 스테이지 1관

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本日は、大変効率よく、同じ建物内の左から右へ移動してのソワレです。今回の渡韓の目的の一つ、ドゥフン君の2年半ぶりのテハンノへの帰還、復活ミュージカル、”ヴィンセントヴァンゴッホ”です。これ、韓国人のお友達には、”ゴッホ”といっても通じません。韓国語では、”ゴッフ”です。公演自体は、先月の頭に始まっていましたけれど、もう愛がさめてしまったわたしは、テユ君の公演がないのをいいことに、今の今まで先延ばしにしていたのでした。

前にフィルムレビューでも書きましたが、この作品自体は、ボガンさんとユドクさんの公演映像を映画館で字幕付きでみたことがありました。でも、けっこう寝ちゃったし、あまり響きませんでした。と、いうのは、これは、何も知識なしで、普通の日本人が観ると難しいと思います。ゴッホの人生そのものが、簡単じゃないし、全編、ほとんど、歌でつないでいきます。他の作品でいうと、”レミゼ”とか”エリザベート”なみに歌が多いです。俳優さんが二人で、弟役の俳優さんは、他の役もやりますから、ゴッホの生涯がひととおり頭にはいってないと、どういう場面かを韓国語だけで理解していくのは大変です。今回、わたしは、けっこうがんばりました。歌詞がネットに掲載されているサイトがありましたので、16曲全部、一応、訳してみました。翻訳機は使いましたけど、一発変換で日本語だけ読むでなく、パラグラフごとに訳させて、添削していくという、2番目ちゃんとやるバージョンです。(一番ちゃんとやるバージョンは、知らない単語を辞書ひいて、一文づつ訳す。これは、時間があるときは効果的ですが、根気がかなりいりますので、たいていやりません)映画も2バージョン観ましたし、愛がさめたとはいえ、ドゥフン君をちゃんと見るという姿勢でのぞんだのでした。おかげさまで、撃沈は避けられたかと思います。

あらすじは、だいたいフィルムレビューで書いたとおりですので、ここでは割愛します。この作品は、映画と違っているのは、全編がテオの語りで展開するところです。このミュージカルは、画家である兄のヴィンセントの生涯をみせながら、中心にあるのは弟テオの兄に対する思いです。ヴィンセントを誰よりも思いやり、生涯をささえたのは弟テオであるというのは、映画でも出てきましたが、テオの視線でヴィンセントをみつめていますので、全体的にはとてもあたたかなものが流れています。エキセントリックなヴィンセントの言動は誰にも理解しがたく、テオも理解には苦しみながら、兄の才能を信じ、愚直なくらいにまっすぐな生き方をひたすらに支え続けます。この作品は、韓国のオリジナル作品ですが、テオの姿はヴィンセントよりも心に響くところが、とても韓国らしいつくりだなと思います。

テオ役は、パクユドクさんの名演が有名ですし、ドゥフン君とは、”マイバケットリスト”のオリジナルペアですから、ユドクさんで観たいわと思うファンは多いのですけれど、この組み合わせがないそうです。本日のテオは、パクジョンウォン君です。この子は、お顔は好みではありませんが、演技お上手ですからね、観る前から安心でした。韓国人のお友達も、若さは否めないけれど、ユドクさんのテイストとのことで、なかなか期待は高まりました。そして、想像どおりのテオでした。とても常識的で、やさしくて、どんな時にもお兄さんを見捨てない誠実さが似つかわしかったです。

そして、ドゥフン君~。う~ん、奮闘してましたね~。わたしは、てっきり、”ファンレター”のユン先生役で復帰するのかと思ってましたが、こういう難しい役を2年のブランクのあとにいきなりやるなんて無謀ですよね。とはいえども、ドゥフン君は、ドゥフン君ですから、彼らしい彼のテイストでヴィンセントを、とっても一生懸命演じてました。この感じ、なんだかとっても蘇ってきましたが、”ミッドナイト”の夫役、”悪い磁石”のポール役をやっていた時の前半の感じ。ドゥフン君の性格にはない部分で演じなければいけないときって、すご~く葛藤しながらやっているのが伝わってくるのです。彼のデビューしたときから3年くらいまでの時代を知らないファンならば、これは、ヴィンセントが挫折をくりかえし、自暴自棄になったり、もがき苦みのたうちまわる表現として、すんなり何気なく観たりしているのでしょうね。まあ、それはそれでよいのでしょうけれど、わたしとしては、どうしてもドゥフン君として観てしまって、なかなかヴィンセントの生涯には集中できなかったです。途中では、これは、絶対に向いてない役だわ、どうして、わざわざこういう役を選んだのかしらと思ったりしていたのです。そうしているうちに、ヴィンセントが耳を落とし、いよいよ絶望していくところは、会場では、すすり泣きの人たちもいたりして、あ~、わたしは泣けないんだとか、どこか冷めた思いで観ていたのでした。

ところがですね~。テオが、最後に去っていく前に、病気のために身体は不自由になり、記憶がどんどんなくなっていく中、兄の名前をつけた息子にむかって、”父ができなかったことを君がしてくれ。君のおじさんのことを覚えておくのだよ”と言うのをきいて、いきなりウルっときたのです。そして、そのあとが、麦畑でヴィンセントが自殺をする場面になります。そこで歌う”命をかけて”という歌が、死を前にした歌なのに、とても穏やかで、悲壮感がなくて、なにか幸福さすら感じるような歌なのです。その歌って、なんというか、ドゥフン君に似つかわしくて、涙ぽろぽろとまらなくなってしまいました。なんだろう、この涙って。この2年半の間に、この子が一生懸命築こうとした何かがそこにみえたような気がしたのかな。涙ぽろぽろのまま、カーテンコールの”送れなかった手紙”がはじまり、プロジェクトマッピングのアーモンドの花がまた、美して泣けちゃうんですよ。最後の最後まで、なんだか、すかっと泣いて、ちょっと幸せな気分になりました。なんだろう、この感触。

2年半ぶりのドゥフン君のミュージカルとの再会はこんなでした。今日は、テグンの全体挨拶もなく、お手紙とおみやげもMDブースにあずけたので、素顔をみることはかないませんでしたけど。心が遠くなってしまったように、その存在も遠くなってしまったのだなとあらためて感じます。ドゥフン君が観たくて、また、この作品を観るために渡韓することはないと思いますけれど、他の作品にでることがあれば、また観てもいいかなと思いました。不思議と、すかっと泣かせて、ちょっとだけ幸せな気分にしてくれるところは、かわってないので。今度は、穏やかな人生をいきる心やさしい人の役だといいね。彼は、いつでも愛するより、愛される役の人が似つかわしい人だったから。

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