2021年10月20日


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長い有休休暇中に是非にやりたかったのが、チケットのお安い日の平日昼間映画鑑賞です。2週間ばかり、映画館のない田舎にいたので、今になってしまいました。”MINAMATA”が観たいなと思っていましたが、近くの映画館はレイトショーか早朝しかなく、主旨にかなわないので、やめました。(と、いうか、テーマが重すぎて、朝早くや夜遅くに重い気持ちになるのもなんだなと思いまして)

この映画は、まだ撮影中だか、撮影後だかわかりませんが、10月から公開の何か月も前に目にとまりました。佐藤健君主演というのに心惹かれていましたが、内容を知るとさらに興味がわいており、公開を楽しみにしていました。巷の評判も悪くないようです。

あらすじを詳細に書くとネタバレになりますので、さらっと書きます。東日本大震災の避難所で、黄色いジャケットを着た女の子が一人でうずくまっています。母親をなくして、おじが一時的に面倒をみていますが、そのおじは親戚にも行方不明者がでて福島へ行ってしまったのです。その横に、元々身よりもなく一人ぼっちの利根がいます。理髪店を営んでいた老女けいは、自分の毛布を利根にかけ、利根は少女にそれを譲ります。そのうち、けいは壊れた家にもどって、少女と利根は、けいのところを訪ねて、3人はなんとなく心を通わせるようになっていました。震災から10年後、仙台で、福祉関係の仕事をする人間が二人、立て続けに殺されます。被害者は、いづれも、職場や家族からは、まじめで誠実な人柄で知られていましたが、殺し方は、怨恨としか思えません。縛りつけて監禁して放置し、餓死させるという残忍な殺し方でした。東日本大震災で妻子をうしなった刑事、笘篠が捜査にかかわります。被害者の職場で、生活保護を担当する円山幹子を紹介されます。笘篠は、幹子について、生活保護を申請する人や受給している人々にあい、被害者の職場で、生活保護申請を却下された事例が適切に報告されていないことをつかみます。その中に、逆恨みで放火をした利根がうかびあがり、利根を追うことになります。利根は、震災後、栃木で働いていましたが、けいが困窮していることを知り、少女とともに生活保護を申請するようけいを役所につれていき、申請は認められました。しかし、結局、けいは申請を辞退して、餓死してしまったのでした。けいの現状を知りながら、辞退に追い込んだ役所を利根は許せなかったのです。服役後、工場に就職していた利根を笘篠は、逮捕します。取り調べの最中、けいの申請にかかわっており、今は、代議士になった上崎が行方不明になり、笘篠は、利根がかくしていたものを確信するのでした。

よくできていたと思います。俳優さんもゴージャスでした。殺された被害者は、瑛太と緒方直人ですもんね。ちょこっと出てきて、殺される役にこのレベルの俳優さんを使っています。刑事は、阿部寛です。彼は、メンズノンノのモデルでしたのに、すっかり、くたびれた刑事が似合うようになりました。けい役の倍賞美津子さんがとてもよかったです。さみしくて、弱くて、やさしい老女が、二人の孤独な若者と絆をつむぐ姿に泣けました。佐藤健君は、元々、たいへんきれいなお顔で、こんなやさぐれて、ひねくれた役をやるような役者さんじゃないと思うので、どうも似合わないわと思いながらみていたのですけど、利根が、けいや少女に向けて、もらす一瞬の笑顔がたまらなくいいのですよ。この表情のギャップがあってこその役なのだなと思っていたら、ネタバレだから書けませんけど、大人になった少女に話しかけて説得するシーンがさらによかったです。語りかけるトーンにこめられた思いが、やさぐれた青年の奥底の真実の温かさがにじんでいて、泣けました。健君を観に行った甲斐があったと思えるシーンでした。

これ、ネタバレの内容を書かないと語りにくいのですが、弱者を救いきれない社会というか、人間がテーマなのです。生活保護の不正受給を防ぐため、人々が働いて生活を営むことを促すため、役所は厳しく、審査をして、実態をチェックします。その中で、本当に必要な人が生活保護を受けられない状況が生まれたり、その支給をとめられたりしています。映画では、事例はでてきますが、役所の人々が、なぜ、生活保護の受給をなるべくさせないようにしているのかが、あまり詳しく描かれていません。厚生省の説明によると、”資産や能力等すべてを活用してもなお生活に困窮する方に対し、困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障し、その自立を助長する制度です。”とのことです。けいには、幼い時においてきたか、養女にだしたかの娘がいて、その娘は、けいの存在をしりません。役所は扶養者として、その娘に照会しようとし、それを嫌うけいに受給辞退の文書を書かせます。シングルマザーで生活保護を受けている別の女性は、娘を塾にやりたいとスーパーでフルタイムで働いていることがばれて、受給をとめられそうになります。どちらの例も、生活に困窮しているというのがあきらかであるというのに。殺された役所の職員たちは、決して紋切り型のお役人ではないし、冷たい人々でもありませんでした。映画では、東日本大震災で大きく状況がかわって、人々は制度の中で疲弊していたというようなニュアンスがありました。不正受給は防がねばなりませんが、本当に、護られるべき人々がすりぬけて、葬られてしまうことを防ぐほうがより必要なのではないだろうかと思わずにはいられません。もはや、わたしも他人事ではありません。社会的地位は、本当にはかなくて、どこか属している場所をはなれたとたん、当たり前だったものが、次々と消えることに気づかされます。働く場所があって、生活を営めるだけのお金を稼げるということは、当たり前のようで、当たり前ではありません。生活の困窮は、個人で測られるべきで、親族をまきこむものであってはいけないと思います。日本に住む一人ひとりが、個人として、尊厳をもって健康で文化的な生活を営める社会であってほしいです。

1年前のわたしならば、蚊帳の外から、みつめて、正論で片付けてしまったであろう内容ですが、弱き者に転じた今は、切実な思いをもって、感じることのできる映画でした。