2020年10月1日
本多劇場(東京)

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この劇場で、2005年に加藤健一さんの”審判”を観ました。長年観たい観たいと思って、念願かなった衝撃的な作品でした。あれから、下北沢に縁がなく、本日、16年ぶりに戻ってきたのでした。前回は、三軒茶屋からなので近所でしたが、今は、下北沢は、行くの不便と思っていたら、意外にも南武線+小田急というマイナーな組み合わせで、思いのほか簡単に行けてしまったのでした。

この作品は、またまた韓国創作ミュージカルです。確か、ヨンガンホールとかでやっていた、中劇場系の作品だった記憶があります。女性が主役だし、登場人物多いし、話難しそうということで、ソウルでの観劇候補には、まったく考えなかった作品です。しかしながら、人気俳優さんがけっこうキャスティングされており、お友達の好きな俳優さんも出ていたので、どんな作品なのだろうなとは思ってました。なので、今回、日本で上演にあたり、是非観たいわと思ってスケジュール把握せずにいたら、観れるのが今日しかないと判明し、台風にも負けず、初日を観劇してきたのでした。

ネタバレ有りで、あらすじを書きますと、イスラエルで、30年間も、ある作家の原稿の所有権をめぐり、一人の女性と国が争って裁判をしています。女性の名前は、エヴァホープ。もう初老にさしかかった独身女性で、人々からは、変人あつかいされています。エヴァのそばには、原稿を擬人化したKがいて、エヴァの裁判を見守っています。エヴァが固執するその原稿との出会いは、エヴァの子供の頃にさかのぼります。エヴァは、ユダヤ人で、チェコで母親と暮らしていました。8歳のお誕生日の日、母の恋人で作家のベルトが、戦争のため、パレスチナへ逃げるようにと言い、友人で死んだ作家の原稿を預かってほしいといいます。その作家は、自分の作品が売れないことを嘆いて自分の原稿を燃やしてくれと言い残し、自殺しましたが、ベルトはその作品の美しさに原稿を燃やすことができずにいたのでした。エヴァと母親は、バスに乗り込んだものの、途中でつかまり収容所へいれられてしまいます。そこは、ユダヤ人たちに過酷な日々がまっており、母親は、必死にその原稿を守ろうとします。母親の原稿に対する執念はすさまじく、エヴァは自分よりも原稿を大切にしているのではと懸念しながらも、母親と原稿を守るため、仲間のユダヤ人をおとしいれたりします。戦争が終わって、ベルトと再会しますが、ベルトは母親以外の人と結婚しており、エヴァたちと暮らすつもりもなく、母親はショックのあまり自殺をしようとします。ベルトはのちに亡くなるとき、原稿を世に出してほしいと遺言を残しており、エヴァたちも知っていますが、母親は、原稿を執拗に手放そうとはしません。母親は、半ばおかしくなっており、エヴァは、みじめな暮らしがいやで家を出ようとします。そして、原稿を奪い合いになり、半分だけ持ち出します。貧しさから逃れようとしている時、カデルという青年に出会い、彼を好きになります。カデルは、持ち出した半分の原稿をオークションにかけてお金をかせいで二人で家を建てようといいます。オークションで大金をえて、二人の暮らしがはじまると信じていたのに、カデルはそのお金を独り占めにしてエヴァを捨て去ります。母親の元にもどったものの、母親のように原稿に執着して人生を終わるのはいやだとエヴァは、母をおいて家をでます。エヴァは、放浪をして日々をすごし、母親もいつしかなくなっています。母親のいた家にもどると、擬人化されたKがいました。エヴァは、母親の残した原稿を受け継いで、国と争うことになったのでした。裁判でエヴァは、現行は自分のものだと主張しながら、原稿に執着した人生をふりかえります。原稿に執着して、他人を犠牲にしたことや、いつでも捨てることができたのに捨てる選択をしなかったことなど、もろもろがうかんできて、Kに火をつけて燃やそうとします。Kは、エヴァが原稿のためでなく、自分の人生を生きる時だと、自ら火に近づいて消えようとします。判決は、所有権は国にわたることとなり、エヴァは自分の人生を生きるはじまりとなったのでした。

あらすじ書いてはみたものの、実をいうと、あんまりしっくりきていません。最後のおちが、なんというか、なんで今?みたいな。30年間も裁判したなら、途中で同じ気持ちになったりしたのではないかなとか。原稿に執着することで、生きていられた反面、捨ててしまえばすっきりするはずとか、いっそのこと、うっぱらっちゃえば楽になると、何度も考えたと思うのだけど。母親が、半ばおかしくなりながら、原稿に執着するのは理解できるけど、エヴァの生き方って、よくわかんないわというのが正直なところで、残念ながら、さっぱり感情移入できなかったのでした。会場的には、わりとぐっときている人々はいたっぽいですが。(途中で鼻水すする音が聞こえてました)思うに、お話的には、好きな類じゃないみたいです。あと、アンサンブル系の人が4人くらい登場しているし、メインも6人いるし、わたし的には人数多すぎ。シリアス系のお話にダンスがはいる演出って、好きじゃないし。そうそう、これ、日本版の演出は俳優の新納慎也さんなのですよ。本日、初日なので、入口にたっていて、マスクしてましたが、かっこよかったです。新納さんのコメントみると、泣けそうなお話でしたけど、う~ん、好みの問題でだめでした。韓国の創作ミュージカルは、こういう小難しい系でなくても、もっとさらっと感動できるもの多いのですけどね。”Smoke”とか”Hope”とか、ちょっとひねった作品を日本人は選択したがるのよね。

本日、とてもとてもよいと思ったのが、女優さんお二人です。清水くるみさんと白羽ゆりさん。日本でミュージカルを観ていて、女優さんがいいわと思うことは、本当にまれです。清水さんが若いときのエヴァで、白羽さんが母親のマリーでした。お二人とも、歌がよいのですよ。演技としての、歌唱表現力がお見事でした。メインの二人ともが歌えるっていうのは、日本でミュージカルを観ていてはまずないことだったので、とても気持ちよかったです。清水さんって、”ロミジュリ”の再演のジュリエットでチケット買っていたのに、体調不良だかで降板してみれてなかったのですけど、こんな歌えるジュリエットなら観たかったわと今更後悔しました。白羽さんは、多分、元宝塚で、退団後に井上君との”シェルブールの雨傘”で観たことがありますが、あの時は、泣かせてくれましたものね。今日行ってよかった要因の一位は、このお二人でした。男性二人は、上山君は、まあ、想定内ですね。ミュージカル俳優さんですから、このくらいは歌えて当然でしょう。大沢健君は、もとは、テレビ俳優さんですよね。おじさんになってプチショック。前は、美少年だったのですよ。この方の歌は、だめじゃないけど、テレビ俳優さんの域を出てませんでした。

今日、何がだめといっても、K役の小林亮太君。演技は、悪くなかったけど、歌がだめだめでした。はっきりって、彼が、この公演つぶしかねないくらい歌だめです。演技は悪くないんだけどね。Kって、重要な役割なので、聞かせどころで歌うのですよ。ソウルでは、コフンジョンがやってるくらいですからね。そうそう、この役どころ、ソウルでは、30代後半の売れっ子俳優さんが演じています。キムギョンス君とかチョヒョンギュンさんとか。なんで、日本は、こんな子供みたいな子で、幼い感じにしたのかな。まあ、そこはよしとしても、ミュージカルで、キーの役どころで、この歌唱力は何がよくても、絶対にだめだと思います。途中で、何度も耳をふさごうかと思いましたが、それは失礼すぎるので、我慢してました。エヴァ役の高橋恵子さんは、大変におきれいでした。さすが、大女優です。くたびれた初老のエヴァだけど、美しさは隠せません。演技もさすがだなと思います。で、この方も歌はしろうとです。そこは、大女優の表現力で、それなりに、違和感なく聞かせてはいましたが、ふと冷静に考えてみると、ミュージカルで、この役どころで、この歌唱力は、いくら演技でカバーしているとはいえ、よしとしてはいいものではないなと思いました。高橋恵子さんのエヴァは、よかったですよ。でも、ミュージカル”Hope”としてのエヴァとして、これでいいのかというと、ミュージカル作品に対するリスペクトを考えるとNoだといわざるえません。

全体的には、よくがんばって作りこんでいる心意気は感じるのですけど、作品のチョイスと公演としてのレベルという点では、厳しい評価になってしまうのかなと思います。日本のエンターテイメント界の人々が、韓国ミュージカルに関心をもって、意欲的に真摯な姿勢で輸入しているのはとても喜ばしいことです。そういう意味では、手放しに成功とならなくても、試行錯誤で、いろいろな試みをするのはよきことかと思います。”Hope”が一般受けするのは、”Smoke”以上に難しいかもですけど、レベルの高い女優さんたちもいることですし、よき方向に改善されるといいなと思います。新納さん、今後も演出も頑張ってください。